「生の短さについて」を読んでる
まだ途中ですが全肯定されてるように感じる部分があったので書き記しておきます。
だが、時間を残らず自分のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。実際、いつかの将来のひとときがもたらしてくれるかもしれない楽しみとは、一体何なのか。彼にはすべて既知のものであり、すべてすでに飽きるまで堪能したものである。それ以外の未来のことは、望むがまま、時の運に決めさせてやればよい。彼の生はすでに安全な場所にある。その生には、付加できるものはあっても、取り去れるものは何一つない。付加されるものさえ、腹いっぱい食べて満ち足りてはいるが、何か食べ物があれば、欲しがりはせずとも腹に入れることはできる、ちょうどその余分な食べ物のようなものなのである。それゆえ、誰かが白髪であるからといって、あるいは顔に皺(しわ)があるからといって、その人が長生きしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけのことなのだ。
引用にしては長すぎるので著作権的にはちょっとアウトですが、まだ読んでる途中のため、また何か感じたら追記するかもしれません。